kyodo risshi no motoi

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Tomita Nobutaka and his wife Yuki no Kata defend Tsu Castle by Tsukioka Yoshitoshi 1885

Tomita Nobutaka and his wife Yuki no Kata defend Tsu Castle by Tsukiok...

Tomita Nobutaka and his wife Yuki no Kata successfully defend Tsu (Anotsu) castle during the Sekigahara campaign (22 August - 5 November 1600). Original Japanese woodblock print. Women were not expected to fig... More

Hideyoshi no risshi. 19th century Japan. Public domain image.

Hideyoshi no risshi. 19th century Japan. Public domain image.

日本語: “秀吉西國に在て毛利三家と對陣(対陣)し高松城を圍(囲)み遂に和議の約を為すに至り毛利の使者来るに臨ミ信長乃光秀に弑せられしを語り號泣(号泣)して更に憚る色なく又泰然自若として使者に向ひ戰(戦)わんと欲せば速に勝敗を決すべしと 使者歸(帰)りて輝元等に告ぐ 家臣皆秀吉を伐んと願ふ 輝元許さず其大度に感じ盟書を作りて秀吉に贈り和議を結びしとぞ 宝斎 識”

Kyodō risshi no motoi, Akazome Emon

Kyodō risshi no motoi, Akazome Emon

日本語: 「教導立志基」より『赤染衛門』、木版画 “赤染衛門ハ慈し子の病ひ重りて命旦夕に逼(迫)りしを悲み我身の命を斷(断 たゝ)せられ吾子を一度救ひ給へと身を住吉の神に捧げ祈誓を獻(献 たてまつ)りしかバ神も感應(感応)在ませしや「代らんと願ふ此身は惜からて さても別れんことの悲しさ」と記しゝ中の幣(ぬさ)抜けて扉乃裏に入りつるよと見しハ眞(真)の通じし?にて夫より病の癒(おこた)りぬと實に歌學(歌学)の徳とや言な... More

Kyodō risshi no motoi, Aoto Fujitsuna

Kyodō risshi no motoi, Aoto Fujitsuna

日本語: 「教導立志基」より『青砥藤綱』、木版画 “青砥藤綱ハ時頼 時宗に仕へ智謀衆に勝れり 甞て夜 滑川を過ぎ誤て銭十銅を水中に墜(おと)す 藤綱 従者に命じ五十銅を出し炬(たいまつ)を買ひ照して探らしめ竟に之を得たり 人 其得失の異なるを笑ふ 藤綱聞て 五十銅を費やしたるハ人に益して通用せり 十銅ハ僅(わずか)なれども永く天下の貨(たから)を失ふ故に惜ミし乃ミ と 藤綱乃如きハ節倹を守りて吝嗇に陥らざるものといふ... More

Kyodō risshi no motoi, Dainagon Yukinari

Kyodō risshi no motoi, Dainagon Yukinari

日本語: 「教導立志基」より『大納言行成』、木版画 “大納言行成 未だ殿上人たる時 中将實方(実方)殿上にて會(会)ひたるに何事も言ず行成の冠を打ち落し小庭に擲(なげう)ちたり 行成周章(あわて)たる色なく徐(しづ)かに主殿司を呼て冠を取せ之をかむりて容(かたち)を正し何の故をもてかゝる亂行(乱行)に預る事か更に合點(合点)ゆかず 先(まづ)その故を承りて後 如何とも致し候はんと穏かに言けれバ實方一言の答なく座を立た... More

Kyodō risshi no motoi, Echizen Shōshō

Kyodō risshi no motoi, Echizen Shōshō

日本語: 「教導立志基」より『越前少將』、木版画 “豊臣秀康ハ秀吉の養子なり 曾て伏見に在て舞妓阿國を召 舞を見る 阿國妙麗にしてよく舞ひ其妙を極む 秀康熟視稍久し因て大に號泣す 侍臣恠(あやしん)で其故を問ふ 秀康曰く 彼裙釵(くんさい)乃流といへども?(既)に天下第一の名あり 我ハ堂々たる一丈夫にして未だ海内一人と稱せられず 故に羞て泣ざるを得んや と 聞者皆感歎すと云ふ 江東隠士龜泉 述” English: ... More

Kyodō risshi no motoi, Fujiwara no Arihira

Kyodō risshi no motoi, Fujiwara no Arihira

日本語: 「教導立志基」より『藤原在衡』、木版画 “藤原在衡は村上天皇の時 官を累(かさ)ねて左大臣に昇進す 在衡 職に在て未だ一日も朝参を廃せしことなし 或日風雨暴烈にして朝参する者一人もなし 左衛門吉上相語て曰 勤格なること在衡のごときもまだ朝参に難すると言畢らざるに蓑笠にて来る者あり 之を視れば則ち在衡なり 時人其職を緩せに為ざるを歎稱(歎称)せりと 英斎 述” English: Fujiwara no Ar... More

Kyodō risshi no motoi, Hosokawa Yūsai

Kyodō risshi no motoi, Hosokawa Yūsai

日本語: 「教導立志基」より『細川幽斎』、木版画 “細川幽齊は古今集の極秘を傳う可き勅を蒙り關ケ原之難を免れし人なり 然れとも 壯年の頃ハ和歌の學びもなく 武士には用無きわざとぞいひあえり 或戰ひに敵の乘棄たる馬を見て引返せるを 從者曰 乘下の暖なるハ遠くハ行かじ 古歌に「君ハまだ 遠くハゆかじ 我袖の 袂の涙 かわき果ねバ」と申事の候と聞き 直に追て其敵を斬る 是より學問の益有ることを悟り 怠らざしと云 つちのふ ... More

Kyodō risshi no motoi, Hotoke gozen

Kyodō risshi no motoi, Hotoke gozen

日本語: 「教導立志基」より『佛御前』、木版画 “佛女(仏女)ハ加賀に生れ白拍子となり舞を能(よく)し容顔比類なき美人なり 平清盛深く仏が艶色に湎(をぼ)れ日夜寵愛浅からざりけれバ前に?(あい)せられし祇王祇女ハ忽ち衰ヘ遂に嵯峨野の奥に遁れ菩提の道に入しを見て佛はこの無情轉變(転変)を思ひ出「萌出るも枯るも同じのべ乃草 何れか秋にあはではつべき」と一首乃歌に發心(発心)して両女(ふたり)の跡を尋ね往生院に至り同じく尼... More

Kyodō risshi no motoi, Hōjō Yasutoki

Kyodō risshi no motoi, Hōjō Yasutoki

日本語: 「教導立志基」より『北條泰時』、木版画 “北條泰時評定所にあり寇敵(あだ)弟朝時の邸を侵と?(聞 きゝ)馳て之を救ふ 平の盛綱諫て曰く 公ハ天下の為に自重(ミづからおも)んずるの身なり 小事ハ臣等に命て辨ぜん と 泰時答て 人の世に居親むを大なりとす 弟殺されんとするを坐視して救ハざれバ人我を何と謂ん 弟寇ニ囲るゝや他人に在てハ小事 我に於てハ大事たり と 人其慈愛の篤きに敬服す 吸々舎逸静 述” Engl... More

Kyodō risshi no motoi, Kamitsukeno no Katana

Kyodō risshi no motoi, Kamitsukeno no Katana

日本語: 「教導立志基」より『上毛野形名』、木版画 “大仁上毛野形名ハ舒明天皇の詔を奉じて将軍となり蝦夷を討 形名蝦夷の為に圍れ士卒皆逃る 形名困迫し圍を潰して逃んとす 其妻曰く 君の祖先ハ万里海を濟(わた)り威を異域に煇(かゞやか)す 君何ぞ祖先の名を汚し笑を後世に取るや と之に酒を飲しむ 形名醉て眠る 妻親ら劔を佩び婢數人をして弦を鳴さしむ 蝦夷以為(おもへら)く官軍猶多しと稍引去る 形名適眠覺(さ)む 妻乃ち器... More

Kyodō risshi no motoi, Katagiri Masaichi

Kyodō risshi no motoi, Katagiri Masaichi

日本語: 「教導立志基」より『片桐正一』、木版画 “秀頼幼なるを以て多くの忠臣保育すと雖も家康名を鐘の銘に假(仮)り難問を起し且元百方苦慮尽力すれども淀殿浅慮にして大野の佞言を信じ策の行れざるを知り怨?を呑て茨木に退去す 時に重成これを聞き馬を走せ途に且元を要し怨?み且嘆じて曰く 今国家危殆の秋(とき)に際し城を去り如何なすや 且元悦び又泣て曰 余心に君の来るを待 一事を告んと一行に後れて茲にあり 関東のこと既に今日... More

Kyodō risshi no motoi, Kesa gozen

Kyodō risshi no motoi, Kesa gozen

日本語: 「教導立志基」より『袈裟御前』、木版画 “袈裟ハ陸奥衣川に生れ阿都磨と云(いひ)后 源渡の妻たり 盛遠適路に逢ひ眷戀して其母を劫(おびやか)し袈裟に迫りて不已(やまず)袈裟の曰く 君の命に従はんが夫あるを如何せん と 依て今宵渡を害せんと約し其夜自(ミづから)髪を絶ちて渡に疑し南楼に臥して盛遠の為に討る 世人挙(こぞつ)て其貞操を賞賛す 濱町清談園主 誌” English: Kesa gozen, fro... More

Kyodō risshi no motoi, Kikuchi Takemitsu

Kyodō risshi no motoi, Kikuchi Takemitsu

日本語: 「教導立志基」より『菊池武光』、木版画 “菊池武光ハ兄武重の封を襲ひ肥後守に任ぜらる 常に勤王の志深く勇武の士なり 正平十四年懐良親王を奉じて少貳頼尚を高良山に討つ 頼尚兵六萬を以て筑後川に陣す 武光五千騎を率ゐて進ミ奇兵を設けて之を攻む 苦戦數刻 武光衆を督し士卒に先だち縦横奮闘す 一日九十九合 馬斃れ甲傷き頭部に數創を受く 適(たまたま)一敵将と相撃 之を斬り其馬と甲とを奪ふて着し益進んで遂に頼尚を敗る... More

Kyodō risshi no motoi, Kojima Takanori

Kyodō risshi no motoi, Kojima Takanori

日本語: 「教導立志基」より『児島高徳』、木版画 “宇多源氏佐々木盛綱七代の孫 本姓三宅 世々備前兒島(児島)に居る 父長範備後守たり 高徳兒島備後三郎と称す 帝笠置に在すや赴援(おもむきすくわ)んと欲す 笠置陥り楠氏敗れ帝の西遷を聞き 志士仁人ハ身を殺し以て仁を成す 義を見てせざるハ勇なきなり 盍(なん)ぞ要して駕を奪ひ以て義を擧(挙)ざる と舟坂山に待 然るに駕を山陰に向ふと聞き服を變(変)じ駕に尾し行くと雖も間... More

Kyodō risshi no motoi, Koshikibu no Naishi

Kyodō risshi no motoi, Koshikibu no Naishi

日本語: 「教導立志基」より『小式部内侍』、木版画 “内侍ハ橘の道貞の女なり 幼き時禁中歌合の作者に備りたり 人皆内侍の母ハ世に有名(なだかき)和泉式部なるをもて内侍乃歌は母乃點作せしものと疑ふ 其時和泉式部ハ丹後に在ければ中納言定頼卿戯(たハむれ)に 丹後の使ハ歸りたりや と問ひしに内侍取敢ず「大江山いくのゝ道の遠ければ まだふミも見ず天乃はし立」と詠たるに定頼卿驚て返歌もなく逃出されしとなん 花月樓雪州 誌” E... More

Kyodō risshi no motoi, Kusunoki Masashige

Kyodō risshi no motoi, Kusunoki Masashige

日本語: 「教導立志基」より『楠正成』、木版画 “楠氏本姓は橘氏 人皇三十一代敏達天皇より出(いづ)後裔降りて河内に居る者 楠を以て氏とす 始て後醍醐天皇の時に著(あらハ)る 勅を奉じ志を決して王寺す 楠氏亡びて後二百有餘(有余)年 徳川源光圀 湊川に石を立て 嗚呼忠臣楠氏の墓 と記す 茲に描くハ四天王寺に蔵する識文(みらいき)を僧に請ふて視 衆に諭して奮厲(奮励)さするの圖(図)なり 宜く知る處(処)をして講議あら... More

Kyodō risshi no motoi, Kusunoki Masatsura

Kyodō risshi no motoi, Kusunoki Masatsura

日本語: 「教導立志基」より『楠正行』、木版画 “勤王の士多しと雖楠氏の如きハ蓋(けだし)其冠たり 父子櫻井に袂別して十有餘年曽(かつ)て正行念ふ 今に及て力戰せず無虞の疾に罹らバ上に不忠の臣となり下ハ不孝の子とならん 今賊大擧して来る 是眞に臣乃命を致すの秋なり 彼が首を獲るに非(あらず)んば臣が首を彼に授けん 生死今日に決す 天顔を拜して行を得ん と入奏す 帝世忠を嘉し勅して 汝は朕が股肱の臣たり能く自愛せよや ... More

Kyodō risshi no motoi, Minamoto no Yoshiie

Kyodō risshi no motoi, Minamoto no Yoshiie

日本語: 「教導立志基」より『源義家』、木版画 “源義家陸奥國數年の戰後宇治殿に参り戰の物語せしを大江匡房物蔭より聞て あはれ才あれど未だ兵法を知らず と獨言せしに義家の従者聞て之を告ぐ 義家怒る色なく直ちに匡房の許に至り弟子と成り學門す 後ち義家出羽金澤の城を攻し時一行の雁苅田に下りんとして俄に驚き行を亂して飛び返るを見て曰く 飛雁行を亂るは野に伏兵あるなり と四面より捜さしむるに果して敵三百餘騎を見出し大捷(かち... More

Kyodō risshi no motoi, mokuroku

Kyodō risshi no motoi, mokuroku

日本語: 「教導立志基」目録、木版画 English: Table of contents, from the series Instruction in the Fundamentals of Success, Woodblock print

Kyodō risshi no motoi, Murakami Yoshiteru

Kyodō risshi no motoi, Murakami Yoshiteru

日本語: 「教導立志基」より『村上義光』、木版画 “村上義光は彦四郎と称し官左馬権頭なり元弘の亂(乱)護良親王に従て吉野に赴く 土人芋瀬某 賊の為に之を要す 親王従者をして之に説かしむ 芋瀬遂に路を開き錦旗 若くは近臣一兩名(一両名)を留めんことを請ふ 依て錦旗を授て過ぐ 義光後(おくれ)て到り芋瀬乃衆卒錦旗を荷ふて行くを見て大に怒り直に前(すゝ)ミて衆卒を斃し旗を奪て去る 後 吉野陥るに及び親王に代り自盡すと云 實... More

Kyodō risshi no motoi, Mōri Shōjumaru

Kyodō risshi no motoi, Mōri Shōjumaru

日本語: 「教導立志基」より『毛利松寿丸』、木版画 “毛利元就未だ幼(いとけ)なかりし時 松壽丸と稱(称)す 従者に伴なハれて厳嶋神社に詣ず 帰途従者に問ふて曰く 神前に如何なる事を祈しぞや 若君御運目出度當國(当国)の主と成玉ハんことを祈り候 と聞て 汝我事を祈らバなんぞ日本全国の主となる事を願わざりや人としてその望の域に達するの難きを知らずや云々 幸脩 述” English: Mōri Shōjumaru, f... More

Kyodō risshi no motoi, Nawa Nagatoshi

Kyodō risshi no motoi, Nawa Nagatoshi

日本語: 「教導立志基」より『名和長年』、木版画 “本 村上氏 世々伯耆の名和に居る 承久の役 行秋?なる者あり 孫 行高と官軍に従ふ 事敗れ邑を奪ハる 行高に四子有りて皆武幹 帝名和の湊に至り忠顕をして塗人?に豪族倚るべき者を問ふ 答ふるに長高を以てす 忠顕直に入り詔を傳(伝)ふ 長高未答ざるに長重進て曰く 人の重ずる所ハ名のみ成否となく皆以て大名を天下に揚るに足る と 兄弟意を決し帝を船上山に奉ず 名和兄弟南廷の... More

Kyodō risshi no motoi, Oda Nobunaga

Kyodō risshi no motoi, Oda Nobunaga

日本語: 「教導立志基」より『織田信長』、木版画 “天文十八年春 信長齋藤道三と濃州富田の正法寺に會す 信長道三の威を奪んと行列を異様にし自ら亦奇異の出立して往く 道三其行装を見んと民家乃内より伺ふて笑ふ 信長?視(睨視?)して 我姿を見んと思ハゞ前へ出よ 無禮ハ寛す と大音に呼で過ぐ 道三驚き正法寺に歸り對面す 信長装束を改坐に着 道三の面を見て 先に町口にて我を笑たる曲者に能も似給ける と嘲(あざけり)けれバ道三... More

Kyodō risshi no motoi, Ono no Michikaze

Kyodō risshi no motoi, Ono no Michikaze

日本語: 「教導立志基」より『小野道風』、木版画 “嵯峨帝の御時 釋空海勅をうけて大極殿の偏額を書す 小野の道風これを見て 大極殿乃大の字火の字の如し是れ大極殿にあらず火極殿と見えたり火極(くハきよく)は火極(ひきハま)るとよめり 末年いかゞあるべき と笑ひけるに果して治承元年四月二十八日樋口島小路より火起り火焔飛がごとく八省大極殿青龍白虎其他の諸門皆灰燼となりしとぞ 齋藤風萊? 述” English: Ono n... More

Kyodō risshi no motoi, Sano Tsuneyo

Kyodō risshi no motoi, Sano Tsuneyo

日本語: 「教導立志基」より『佐野常世』、木版画 “佐野常世ハ鎌倉に仕へたる人なり 故有て下野佐野に住し貧困に日を送り忠節愈鉄石の如く且て最明寺時頼脚僧となりて諸國を巡回し民の疾苦を問ふ 計らず佐野家に泊し夫妻の忠節を感じ且常世が愛玩の梅松桜の三樹を伐りて寒凛を凌ぐの資料に充て以て貴人の待遇を厚くす 後時頼鎌倉に歸し召して諸侯に列し佐野の荘にて焚ける三木に擬し加賀梅田越中櫻井上野松井田下野黒髪の荘を賜り益々其忠節を全... More

Kyodō risshi no motoi, Satō Tsugunobu

Kyodō risshi no motoi, Satō Tsugunobu

日本語: 「教導立志基」より『佐藤嗣信』、木版画 “佐藤嗣信ハ義經の臣なり 八島の戰ひに教經精兵をして義經を射さしむ 嗣信身を以て義經を蔽(おほ)ひ射らる 教經の臣菊王其首を斬んとす 嗣信の弟忠信射て菊王を仆し兄を扶(たすけ)て還る 義經榮に到り嗣信を視 之を膝に枕せしめ言んと欲する所を問 嗣信曰 臣陸奥を出しより已に身を君に委ぬ 死ハ願ふ所也 只君の敵を鏖(みなごろし)にせざるを憾と為のミ と 義經泣て曰 我敵を鏖... More

Kyodō risshi no motoi, Shizuka Gozen

Kyodō risshi no motoi, Shizuka Gozen

日本語: 「教導立志基」より『静御前』、木版画 “静ハ源義經の妾なり 吉野の訣別后(わかれののち)鎌倉に召さる 静 鶴岡の社に到り神前に法樂(法楽)乃舞を捧ぐ 頼朝上覽(上覧)のときに静 還らんとし衆の為に止められ辞す時に道なく衣を整へて進み離別の曲を奏し又「吉野山 峰乃白雪踏わけて入にし人の跡絶にけり」と歌を詠じて義經を慕ふ 観者其意を悟り涙を垂れて皆貞操に感泣せしとなん 淡集樓 述” English: Shiz... More

Kyodō risshi no motoi, Shūshiki

Kyodō risshi no motoi, Shūshiki

日本語: 「教導立志基」より『秋色』、木版画 “秋色ハ江戸小網町菓子商の女(むすめ)なり 常に孝心深く十三歳の時 東台(うへの)花見乃際(をり)大般若と名付し櫻を見て「井の端の桜あぶなし酒の酔」と吟ぜしを二品親王の上聞に達し屡(しば/\)殿中へ召る 或日園中を拜見(拝見)させんと父を供にいでたゝせ連行しに歸(帰)る頃 大雨降出けれバ竹輿(かご)を賜る 秋色途中密に父を替り乗せ自ら雨具をまとひ付添て帰りしを后(のち)親... More

Kyodō risshi no motoi, Soga Kyōdai

Kyodō risshi no motoi, Soga Kyōdai

日本語: 「教導立志基」より『曽我兄弟』、木版画 “一万丸ハ指さして アレあれを看よ五つ連なる厂(雁 かりがね)の二ツハ父母 続くハ定めし子なるべし 我々兄弟三人も現世に母ハありながら父のおわさぬかなしさよ と 聞て箱王ふしん立 寔(まこと)の父にハおわさずや と 云バ一万かむりをふり 太郎殿ハ義理の父上 実の父ハ河津殿よといひさして無念の最期を思出落涙すれば箱王もすぐなき袖をぬらしつゝ こゝに兩人こゝろを合せ建久四... More

Kyodō risshi no motoi, Tango no Tsubone

Kyodō risshi no motoi, Tango no Tsubone

日本語: 「教導立志基」より『丹後局』、木版画 “丹後局 鎌倉右府の寵深く終に妊娠なしたるを政子御前の妬心にて縡(こと)の心を家臣に含ませ由井ヶ濱邊(由比ヶ浜辺)に白刃の下 悲歎の余り ゆく水はに ツミの思ひを 流しやらハ 心はすみて 鈴けからまし 木石ならぬ人この歌の心を推量し竊(ひそ)かに其処を逃しやりしに津の國住吉にて男子を挙げ其教育の甲斐ありて終に一國の主となれり 是れ島津家の祖先なりと云 千秋 記” Eng... More

Kyodō risshi no motoi, Tokugawa Takechiyo

Kyodō risshi no motoi, Tokugawa Takechiyo

日本語: 「教導立志基」より『徳川竹千代』、木版画 “徳川竹千代君 幼にして今川氏に質たるとき端午の石戦を看んと奴の肩に騎して往(ゆく)一隊ハ三百余人 一隊ハ之の半(なかバ)に過ず 人争て多(おほき)ニ附く 君奴に命じて少きを助しむ 奴其異るを問 君曰 多きハ心一ならず少きハ慴て力を専にす 依て其勝少ニあり と 果て君の言の如し 時に君十才なりと 墨江逸民 桜舟 述” English: Tokugawa Takec... More

Kyodō risshi no motoi, Uesugi Torachiyo

Kyodō risshi no motoi, Uesugi Torachiyo

日本語: 「教導立志基」より『上杉虎千代』、木版画 “上杉景虎ハ長尾為景ノ四男ニシテ後性ヲ上杉ト改ム 始メ虎千代ト稱ス 幼ニシテ膽略アリ 為景ノ没後臣昭田常陸兄晴景ヲ暗マシテ兄等ヲ殺シテ國ヲ奪フニ際シ門者携ヘテ橡尾ニ走ル 後?捕(逮捕?)ノ益急ナルニ依テ従者ト僧状ニ疑シ難ヲ他邦ニ避ク 道ニ米山ニ上リ?(遥?)ニ府内ヲ望ミテ曰ク 男兒國ヲ復シ仇ニ報ズルヤ蓋シ爰ニ陣スルニ有而已 ト概然トシテ去ル 時年十三 果シテ後年此山... More

Kyodō risshi no motoi, Yamanouchi Kazutoyo Tsuma

Kyodō risshi no motoi, Yamanouchi Kazutoyo Tsuma

日本語: 「教導立志基」より『山内一豊妻』、木版画 “山内一豊ハ弘治三年岩倉の戰ひに父兄を失ひ時十三歳 成長して信長に仕へ天正の初め安土の馬市に名馬を見る 然るに價高金 一豊貧にして粗服なる故に商等取合ず 止を得ず家に帰り織田家に此馬を求る者なきを歎息す 妻女是を聞き完尓(莞爾)として鏡の裏より黄金若干を出し夫に授く 驚て其来由を問ふに 嫁する時に親より賜る所にして一大事に非れバ出さずと 遂に今日に及ぶ 後都馬揃に名... More

Kinootoko Matsura LACMA M.84.31.277

Kinootoko Matsura LACMA M.84.31.277

日本語: 「教導立志基」より『伊企儺』、木版画 “欽明天皇の時 紀男麿等を遣し新羅を討たせしむ 伊企儺あづかる所の軍敗れ執(とら)へられんとするも敢て屈せず其褌を脱して臀(尻)を露し大ニ呼で曰く 新羅王 我が臗?(月+隹)(くわんゐ)を噉(くら)へと 新羅王 大に怒る ますます侵辱を加えて顔色変ぜず遂に害に遭ふ 其子舅子 父の屍を抱て死す 松壽堂 述” English: Japan, circa 1885 Ser... More

Kinootoko Matsura LACMA M.84.31.278

Kinootoko Matsura LACMA M.84.31.278

日本語: 「教導立志基」より『伊企儺』、木版画 “欽明天皇の時 紀男麿等を遣し新羅を討たせしむ 伊企儺あづかる所の軍敗れ執(とら)へられんとするも敢て屈せず其褌を脱して臀(尻)を露し大ニ呼で曰く 新羅王 我が臗?(月+隹)(くわんゐ)を噉(くら)へと 新羅王 大に怒る ますます侵辱を加えて顔色変ぜず遂に害に遭ふ 其子舅子 父の屍を抱て死す 松壽堂 述” English: Japan, 10/1885 Series... More

Inoue Yasuji (1864 -1889), Leerzame voorbeelden van hoge ambitie (1886)

Inoue Yasuji (1864 -1889), Leerzame voorbeelden van hoge ambitie (1886...

日本語: 「教導立志基」より『高倉帝仕丁』、木版画 “高倉天皇幼き時 紅樹(もみぢ)を獻(献)つる者あり 天皇深く愛し玉ひ藤原信成に命じ守らしむ 或時仕丁その枝を折り薪となして酒を煖む 信成見て大に驚き具(つぶ)さにその状(さま)を奏し罪を請ふ 天皇従容として唐歌に「林間煖酒 焼紅葉」と 仕丁乃風流をなす また問ふなかれと 信成其寛仁大度なるを敬服せりとぞ 瀧の川邊光樹 誌” English: Inoue Yasu... More

Kyodō risshi no motoi, Chō Densu

Kyodō risshi no motoi, Chō Densu

日本語: 「教導立志基」より『兆殿司』、木版画 “釈氏妙澤は應安年間の人にして夢窓國師の徒弟(でし)なり 常に畫圖(画図)を好むを以て國師屡(しばしば)これを呵責すれども聞ず ますます畫事に耽り特(こと)に不動乃像を巧にゑがきて其精神感得せしか自から畫(ゑが)く不動の圖中より火焔を發せしより國師も其筆力精妙なるに感じ終に許して呵責せざりし 楊柳橋畔月光 述” English: Chō Densu, from the... More

Kyodō risshi no motoi, Sugawara no Michizane kō

Kyodō risshi no motoi, Sugawara no Michizane kō

日本語: 「教導立志基」より『菅原道真公』、木版画 “菅原道真公ハ稚(いとけ)なきより心がけ凡ならず十一才の春 親君家従忠臣をして才を試ミしに詩を賦し又弓射を能くし六藝に達す 年長(としたけ)て右大臣に任ず 政務を綜理し天下其風采を相望すること赤子の慈母を慕ふがごとし 時に左大臣時平その秀才と人望あるを妬ミ讒す よりて筑紫太宰府權卒となし任所に謫せらる 其哀吟の一句一章君を思わざるなしと 故に正暦年中正一位太政大臣を... More

Tomita Nobutaka and his wife. 19th century Japan. Public domain image.

Tomita Nobutaka and his wife. 19th century Japan. Public domain image.

An ukiyo-e of Tomita Nobutaka rescued by his wife. 日本語: 『教導立志基』 富田信高を救う妻の錦絵 “富田信高 安濃津の城を守る 毛利吉川等之を攻め兵を進めて入らんとす 信高乃ち城を出て闘ふ時に容顔美麗鎧冑鮮明なる一壮士あり 信高の馬前に来り槍を揮て敵兵を斃すこと十数人 敵為に敗走す 信高其誰なるを知らず 城門に入るに及び壮士聲(声)を擧(挙)て君恙(つつが)なき... More

Kyodō risshi no motoi, Peasant Yasaku

Kyodō risshi no motoi, Peasant Yasaku

日本語: 「教導立志基」より『農彌作』、木版画 “常州行方郡玉造村農弥作ハ家貧しく田産少なし?早く父を失ひ母老て痿(あしなへ)となり立つ能わず 弥作性魯なれども母に事(つかへ)て至孝なり 母の養を缺(欠)くに至らんことを患ひ遂に妻を去り母と共に居る 其農業に往くに母を負ひ農具を挟ミ又母の飲食を携へ夏ハ涼く冬ハ暖かなる地を撰ミ母を處き且耕し能く慰む 母酒を好む故に常に貯へ乏しからしめず 領主徳川光圀是を聞き路次弥作が家... More

Kyōdō risshi no motoi, Kirino Toshiaki no Mekake Akiko

Kyōdō risshi no motoi, Kirino Toshiaki no Mekake Akiko

日本語: 「教導立志基」より『桐野利秋の妾 秋子』、木版画 “秋子ハ熊本の商某の娘なり 容色艶美また才能乃聞へあり 桐野利秋の妾となり鹿児島に従往(したがひゆ)き西郷の暴擧(暴挙)に際し暇(いとま)となり歸るにおよび其所在(ありか)を詳(つまびらか)にせず 其後桐野の陣營(陣営)へ日毎に薪を持来り或は負疵者(負傷者 てをひ)を看護し只管(したすら)勞動(労働 はたら)く女あり 兵士恠(怪? あやしん)で糾問せしに利秋... More

Kyōdō risshi no motoi, Sugawara no Michizane kō (new edition)

Kyōdō risshi no motoi, Sugawara no Michizane kō (new edition)

日本語: 「教導立志基」より『菅原道真公』、木版画 “菅原道真公ハ稚(いとけ)なきより心がけ凡ならず十一才の春 親君家従忠臣をして才を試ミしに詩を賦し又弓射を能くし六藝に達す 年長(としたけ)て右大臣に任ず 政務を綜理し天下其風采を相望すること赤子の慈母を慕ふがごとし 時に左大臣時平その秀才と人望あるを妬ミ讒す よりて筑紫太宰府權卒となし任所に謫せらる 其哀吟の一句一章君を思わざるなしと 故に正暦年中正一位太政大臣を... More

Kyōdō risshi no motoi, Tomochidori

Kyōdō risshi no motoi, Tomochidori

日本語: 「教導立志基」より『友千鳥』、木版画 “谷風梶之助ハ奥州仙臺(仙台)の産にして彊勇(強勇)天下に敵なく而も仁義を以て我心とす 當時(当時)友千鳥といへる力士あり 天性至孝 母に事(つか)ふること比(たぐひ)なし 然(しか)れども軽薄不孫の人情 常に友千鳥を評するもの賢愚相半ばせり 谷風獨(独 ひとり)其志を深く愛す 嘗て友千鳥と取組の時 龍戰(戦)虎争終に勝を友千鳥に譲る 爰に於て世人歎稱(歎称)名望一時に... More

Kyōdō risshi no motoi, Takayama Hikokurō

Kyōdō risshi no motoi, Takayama Hikokurō

日本語: 「教導立志基」より『高山彦九郎』、木版画 “高山彦九郎正之ハ我國三奇人の一にして常に王室の陵夷を嘆じ京師に入る毎に三條の橋上に跪きて皇居に向て再拜し路人以て狂となすも顧ミず深く天下の志士に交り兵を擧(こぞつ)て密かに幕府を滅ぼさんとし事發覺(発覚)して畢に自刃す 蓋し此に描出するハ且て史を讀ミ足利尊氏等の反賊大に叡慮を煩ハすを恕り憤然其史を庭に投じ大ひに心膽を固めたりと云 庚寅夏日 以壽美 識” Engli... More

Kyōdō risshi no motoi, Arai Hakuseki

Kyōdō risshi no motoi, Arai Hakuseki

日本語: 「教導立志基」より『新井白石』、木版画 “新井白石は江戸の人なり 甞て慨然として父に跪て曰く 大丈夫生きて封侯を得ずんば死して閻羅と為るべし 是に於て意を?(決?)し書を河村氏に求め苦學懈(おこた)らず経史百家に通ず 又蘭學を善くす 遂に幕府に召用せらるゝに際し家貧なるがゆゑに先に勤要具を恵まるゝと云ふ 後従五位下に叙し筑後守に任ず 其著書未だ稿を脱せざる者を併せて凡百六十種なりと 今に至りても東本願寺の墓... More

Kyōdō risshi no motoi, Kesa gozen (new edition)

Kyōdō risshi no motoi, Kesa gozen (new edition)

日本語: 「教導立志基」より『袈裟御前』、木版画 “袈裟ハ陸奥衣川に生れ阿都磨と云(いひ)后 源渡の妻たり 盛遠適路に逢ひ眷戀して其母を劫(おびやか)し袈裟に迫りて不已(やまず)袈裟の曰く 君の命に従はんが夫あるを如何せん と 依て今宵渡を害せんと約し其夜自(ミづから)髪を絶ちて渡に疑し南楼に臥して盛遠の為に討る 世人挙(こぞつ)て其貞操を賞賛す 濱町清談園主 誌” English: Kesa gozen, fro... More

Kyōdō risshi no motoi, Kido Suikō-in

Kyōdō risshi no motoi, Kido Suikō-in

日本語: 「教導立志基」より『木戸翠香院』、木版画 “翠香院殿ハ故贈従二位木戸孝允公の夫人なり 始の名ハ竹松 元西京藝子(芸子)なり 文久の頃尊皇攘夷の論を聞き慷慨をして國歩の艱難を憂ふ 且て長藩桂小五郎に邂逅したり 小五郎ハ即(すなハち)故贈従二位の幼名なり 元治の亂 幕府小五郎を捕んとす 竹松小五郎を其家の床下に匿し日々食糧を運び深く之れを慰め遂に追補を免れしめたり 維新の後小五郎青雲に上り竹松の志を感じ迎へて夫... More

Kyōdō risshi no motoi, Takasugi Shinsaku

Kyōdō risshi no motoi, Takasugi Shinsaku

日本語: 「教導立志基」より『高杉晋作』、木版画 “高杉晋作氏ハ長陽の藩士なり精神鉄石の如く言論瀑泉の如し 常に愛國忠君を説く 甞て長藩に俗論黨起り捕吏 氏を窺ふ 氏僅に脱れて筑前に走り同志者野村望東女が家に匿る既にして俗黨三國老及藩士數名を斬て幕吏に渡せしを恕り憤然檄を四方に飛し兵を需(もと)めしに應ずる者五百余人氏乃ち太田市之進山縣狂介等と謀り遂に俗黨を倒し其魁首を刑して一藩の面目を改めたり 氏平素過飲為めに肺を... More

Kyōdō risshi no motoi, Soga Kyōdai (new edition)

Kyōdō risshi no motoi, Soga Kyōdai (new edition)

日本語: 「教導立志基」より『曽我兄弟』、木版画 “一万丸ハ指さして アレあれを看よ五つ連なる厂(雁 かりがね)の二ツハ父母 続くハ定めし子なるべし 我々兄弟三人も現世に母ハありながら父のおわさぬかなしさよ と 聞て箱王ふしん立 寔(まこと)の父にハおわさずや と 云バ一万かむりをふり 太郎殿ハ義理の父上 実の父ハ河津殿よといひさして無念の最期を思出落涙すれば箱王もすぐなき袖をぬらしつゝ こゝに兩人こゝろを合せ建久四... More

Kyōdō risshi no motoi, Sugawara no Michizane kō

Kyōdō risshi no motoi, Sugawara no Michizane kō

日本語: 「教導立志基」より『菅原道真公』、木版画 “菅原道真公ハ稚(いとけ)なきより心がけ凡ならず十一才の春 親君家従忠臣をして才を試ミしに詩を賦し又弓射を能くし六藝に達す 年長(としたけ)て右大臣に任ず 政務を綜理し天下其風采を相望すること赤子の慈母を慕ふがごとし 時に左大臣時平その秀才と人望あるを妬ミ讒す よりて筑紫太宰府權卒となし任所に謫せらる 其哀吟の一句一章君を思わざるなしと 故に正暦年中正一位太政大臣を... More

Kyōdō risshi no motoi, Sanjō Sanetomi kō

Kyōdō risshi no motoi, Sanjō Sanetomi kō

日本語: 「教導立志基」より『三條實美公』、木版画 “三條實美公 公ハ幼稚より皇室の衰へしを歎き王威を恢復せんとして兵を擧ぐれどもならず 南都妙法院に諸士を諭し長防へ走り維新の革命に上京なし副総裁議定に任じ左近衛大将を拜し明治四年大政大臣に?(陛? のぼ)り日本帝國の政律を革め大に文化の観を為せり” English: Sanjō Sanetomi, from the series Instruction in th... More

Kyōdō risshi no motoi, Tanaka Tsurukichi

Kyōdō risshi no motoi, Tanaka Tsurukichi

日本語: 「教導立志基」より『田中鶴吉』、木版画 “田中鶴吉ハ東都麻布ノ産ニシテ幼児双親ヲ失ヒ横濱(横浜)ニ走 商館ノボーイトナル 或時米国氣船長(汽船長)ウヰルモン氏 戲(戯)ニ汝ヂ吾ト共ニ米国ヘ住ベシト 鶴吉倍々希望シ止ズ遂ニ船乗込コトヲ得 漸クニシテ桑港ヘ着ス素志始テ達シ岩嶋製鹽會社(製塩会社)ニ入 精勵(精励)労力スルコト三年 月俸四十弗ヲ給フテ監督役トナリ后八十弗得ルニ至リ以上七年 帰朝シテ我国ニ塩田業ヲ起... More

Kyodō risshi no motoi, Ōishi Yoshio

Kyodō risshi no motoi, Ōishi Yoshio

日本語: 「教導立志基」より『大石良雄』、木版画 “大石義雄 氏は赤穂城主浅野家の国老なり 主家離散の後は飄然花街に遊び酒に臥し酒に起き恰も心無きが如し 所謂大智は愚なるが如しと 誠なる哉 此言や密かに同志を募り終に元禄十四の冬雪を冒して主公の仇讐を報ぜり 千秋 記” English: Ōishi Yoshio, from the series Instruction in the Fundamentals of ... More

Kyōdō risshi no motoi, Hanawa Hokiichi by Kobayashi Kiyochika

Kyōdō risshi no motoi, Hanawa Hokiichi by Kobayashi Kiyochika

日本語: 「教導立志基」より『塙保己一』、木版画 “塙保己一は武蔵の人なり 幼時病で眼を失ふ 年十五江戸に来り雨富某の家に寄宿し絃歌鍼治を學び特に古書を好ミ人に請ふて讀しめ一事一物聞ごとに人に講ぜしめ遂に文字に通じ皇朝の學を修む 年二十五より四十五に至るまで三千七十部の書を著す 或る夜源氏物語を講ずるに當り燈火滅せしを以て暫く言(ことバ)を休まれたしと請 先生曰ふ サテ/\眼明ハ不自由の者かな と大に笑ひしと云 保木... More

Kyōdō risshi no motoi, Tokugawa Yoshinobu

Kyōdō risshi no motoi, Tokugawa Yoshinobu

日本語: 「教導立志基」より『徳川慶喜』、木版画 “徳川慶喜公が資性寛仁大度にして能く天下の機勢を卓見し明治維新の國是を創設賛成せられし鴻勲誰か公の右に出る者あらん 然れども鴻勲ハ恰も勲蹟なきが如く看過せられるも乃にて江湖の論評今に區々たり 視よ百年の後ち確乎論定するの期あるべし因て小言を題して大方治眼者の公論に委し唯公の自詠和歌一首を左に登録して喋々の辯を要せず「国のため民のためとてしばし身を 忍ぶが岡に すみぞめ... More

Kyodō risshi no motoi, Butsu Sorai

Kyodō risshi no motoi, Butsu Sorai

日本語: 「教導立志基」より『物徂徠』、木版画 “徂徠は江戸の人なり通稱荻生惣右衛門幼にして遠思あり延寶中父方庵罪ありて上總に流さる徂徠共に従ひ往き留ること十三年更に師友なく僅かに大學諺解一冊を持って研究す 江戸に還るにおよび業殆と大成す 後柳澤侯に仕へ禄五百石を賜る其博識洽聞なる海内仰て鴻儒とす 九々舎静逸 識” English: Ogyū Sorai, from the series Instruction i... More

Kyōdō risshi no motoi, Hangaku

Kyōdō risshi no motoi, Hangaku

日本語: 「教導立志基」より『阪額』、木版画 “阪額女は城資盛の伯母にして大剛の勇婦なり 資盛兵を越後に起す 越後佐渡の武士之を攻む 阪額奮戦 力竭(ちからつ)き遂に擒(とら)へられて鎌倉に到る 頼家その勇武をきゝ召て見る 阪額簾前に進むに更に畏懼(おそるゝ)いろなく目若たり 女性のことなれば首を刎るにおよばず流罪に處せらるべきを浅利義遠切に乞ひて妻とせりといふ 宗雪逸史 記” English: Hangaku G... More

Kyōdō risshi no motoi, Hanawa Hokiichi by Mizuno Toshikata

Kyōdō risshi no motoi, Hanawa Hokiichi by Mizuno Toshikata

日本語: 「教導立志基」より『塙保己一』、木版画 “塙保己一は武蔵の人なり 幼時病で眼を失ふ 年十五江戸に来り雨富某の家に寄宿し絃歌鍼治を學び特に古書を好ミ人に請ふて讀しめ一事一物聞ごとに人に講ぜしめ遂に文字に通じ皇朝の學を修む 年二十五より四十五に至るまで三千七十部の書を著す 或る夜源氏物語を講ずるに當り燈火滅せしを以て暫く言(ことバ)を休まれたしと請 先生曰ふ サテ/\眼明ハ不自由の者かな と大に笑ひしと云 保木... More